ミニマリスト宣言、モノを減らし生活をシンプルに、たまに使うものはシェア

所有することがかっこ悪い時代がやってきた

20年前は完全に所有することがかっこいい時代だったと思います。マンション、車、ブランドものの服やバッグなど、持っているだけで「いいなぁ〜」と思ったものです。でも今は、色々なものを持っていると「フットワークが重い」デブのような印象をがあります。


実際、持っていることより、いつでもそれが使える状態にあることの方が大切だと、みんな気づき始めています。


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photo credit: Canadian Veggie via photopin cc

いつでも使えること

本は所有しなくても、いつでも図書館から必要な本を借りることができればまったく問題ありませんし、音楽も大量のCDを持たなくても、聴きたいときに聴きたい音楽をネットからストリーミングできます。

映像も同様です。以前は私も好きな映画のDVDをコレクションしていましたが、すぐにダウンロードできる時代、あるいはハードディスクに大量に保存できる状態になってからDVDのコレクションはまったく不要になりました。

ミニマリストというステキな言葉

私は自分自身をミニマリスト、シンプリストだと思っています。モノを徹底的に生活からなくし、モノのメンテナンスにかかる時間を生活から取り除きたいと思っています。

またモノを持つなら、本当に好きなモノ、それをメンテナンスすることがとても楽しいものにしたいと考えています。iPhoneiPad miniMacBook Proモレスキンの手帳、モンブランのボールペン、オメガの時計などがそれにあたります。洋服やバッグはちなみにオンとオフに必要なモノ最小限で、オフはユニクロ、オンはスーツカンパニーが高品質で安くて大好きです。

シェアすること

たまに使うものはシェアに限ります。たとえば、自分の家にプールを持つ必要はありません。トレーニングジムも持つ必要もありません。それはスポーツクラブや住んでいるマンションでシェアされていればいいのです。車もシェアでいいかなと思います。

家庭に庭も不要です。公園というシェアされた場所があればいいわけです。


シェアの課題は、使いたいときに使えるかどうか、使いたいときにカンタンにアクセスできるかどうかです。


スポーツクラブも行くのに30分もかかったら、そのうち行かなくなりますが、住んでいるところの隣になったら「サウナだけでもいくかな」と足を運び、それが習慣になります。公園も徒歩20分では庭の代わりにはなりません。


そう考えると、シェアの時代、どこに住むかはかなり重要かもしれません。なぜならシェアする人が周りにいる、シェアする環境が周りにある必要があるからです。

シェアできないもの

もちろんシェアできないものもあります。iPhoneを嫁と共用とかできませんよね。毎日持ち歩くもの、肌身に付けるものはさすがにシェアできません。

でもその他のものは、シェアできるかどうかを考え、どんどん捨てる、どんどんシェアする、そもそも買わないというのが賢い生き方のような気がします。

まとめ

子どもが生まれて、子どもたちがずっと幸せに暮らせればいいなと強く思うようになりました。シェアする、そして生活をミニマムにする、そんな環境に優しく、かつ心が豊かになる生き方を目指したいと考えています。